やれやれ

『やれやれ』 という言葉は、村上春樹を読んできた世代に取っては、親しみ深いだろうな。でも、実際に彼の作品を20年前以上前に読んだときは、この『やれやれ』は、面倒くさかったり、自分の想定する着地に至る迄に、いくつかのハードルが見えていたり、(短い間だけど)生きてきた背景の違いで共感を得れないことの予感であったりーーしたと思う。もちろん、肉体的な疲れや気疲れに『やれやれ』を使う事は想像してなかったと思う。体力の衰えを現実に感じることは勿論なかったし、世代の違いによるストレスは、頭から小馬鹿にする勢いで自分の正当性を、内心確認する『元気』があった。今日初めて、『やれやれ』の村上春樹以前の使い勝手を理解した様に思う。『やれやれ』。
ネット上でも考察が進んでるんだろうな。彼の作品の外国語訳ではなんて訳されているのだろう。”Just Great”や”Give me a break” か!? ほんまかいな!?『羊をめぐる冒険』 で連発されていて、僕は引きこもった。リンクはることもないか?! 誰のために!!!???? 

File:Egon Schiele 087.jpg




Egon Schieleは、『やれやれ』の感覚、勿論、村上春樹の表現した『やれやれ』も概念化しないまま死んだのだろう。

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